自分で治す統合失調症

統合失調症から薬を使わずに回復した私が理解した、統合失調症の本当の仕組みを投稿しています。

統合失調症の人は正しかった

統合失調症の人は、外から見ると自己喪失しているように見えるかと思いますが、実は本当の自分を温存しています。

これは、生き生きとした自律性をとっておこうとする試みである。本当の自分を、なんとか消さないでとっておこうとする。親であろうが圧制者であろうが、かれらはあたかも「愛してくれている」ように見える。おまけに、かれらの要求に、表向きは永久に逆らえない。「服従」はしても、神経症や統合失調の人が、どのように本当の自分を温存しようとしているか、拙著で述べた。かれらはもちろん、必ずしもうまくいっているとは言えないが、その生き方を、参考にしたい。まずはそれと悟られないように、カモフラージュする。嫌々でなく、むしろ喜んでしているくらいに、徹底してカモフラージュする。しかしあまりやり過ぎて、誰にも見分けられないほどに「同化」してしまう。そのまま権力に、「言う成り」になり、ぬるま湯にどっぷり浸り過ぎて、カモフラージュしていることさえ怪しくなる。さてそのとき、権力はあくまで「敵」だったことをしっかり思い出し、自分のしていることが、本当にこれでいいのか、自分に問いかけられるだろうか?もう一度新鮮な空気を入れて、鈍った感性を蘇えらせられるだろうか。なるほど、権力への参加をよそおって、自分の価値を守ろうとするこのカモフラージュは、その意図は確かによく分かるが、実際には行き詰まりの袋小路となり、それほどうまくいかない。

アルノ・グリューン『愛を知らない』69頁

ちなみに、統合失調症の人の周りにいたであろう自己愛性パーソナリティー障害の人は、本当の自分がもういません。肉体は生きていますが、精神的にはすでに自殺をしている存在です。自己愛性パーソナリティー障害の人から「退屈」という言葉を聞いたことはありませんでしょうか?退屈とは、空虚さを防衛した感情ですので、精神的自殺をし、中身が空になった自己愛性パーソナリティー障害の人から出てきて当然の言葉になります。

統合失調症の人は、過酷な環境下でも精神的自殺を避けるために、やむを得ず精神病になることを選びました。

本当の自分を温存している統合失調症の人は、自分の身体をはっきりと認知することが可能です。

自分の身体を認知できるということは、全生涯を通してきわめて重要な意味をもっている。おかしな事実だが、大部分の大人は身体的認知を失ってしまい、たとえ他人から尋ねられても、自分の足、くるぶし、中指、あるいはそのほか、いずれの身体部位についても、それをいかに感じとっているかを他人に伝えることばをもたない。今日、身体各部位をはっきり認知できるのは、およそ分裂病圏の人(統合失調症の人)か、ほかにはヨガないしそのほかの東洋的訓練の影響下にある特殊な人たちに限られている。たいていの人が、自らの行為の原則としているものは、「手足がどのように感じようと、それはかまわない。自分は仕事に出かけねばならない」という態度である。人間が身体を、近代産業主義の目的にそって生なき機械に化してしまうという状態が数世紀も続いた結果として、人々は身体にすら何ら注意を向けないことをもって誇りとしてきた。人々は身体をまるでガソリンが切れるまで運転可能なトラックのように、操作の一対象として扱っている。

ロロ・メイ『失われし自己をもとめて』116頁

統合失調症の人は、身体を「生なき機械」にするという現代社会になじむことができません。自然さを手放すことが難しいのです。

しかし、はたして、本当に病気なのは誰なのでしょうか・・・

統合失調症の人は方向性は正しいが、そのやり方がまずい人々といえるでしょう。

よろしければこちらの記事も参考になさってください。

jibunndenaosu.hatenablog.com

 

統合失調症を治す具体的な方法/役立った本/ナイアシンの効果

統合失調症って治りにくいですよね。

風邪のようにほっといたらそのうち治るわけではないのがやっかいで苦しいところです。

私も何年も監視カメラで監視される生活をしていて、ずっと緊張状態、気が休まる時がありませんでした。

しかし、私は統合失調症に感謝しています。

なぜならば、統合失調症発症以前は、生きている意味のない生き方をしていたからです。

統合失調症はそのことに気付かせてくれた魂の救世主だと思っています。

こちらの記事では、私が何百冊と本を読み、泣きながら自己分析をしてわかったことを書いています。

記事の内容は

統合失調症を治すためにやった具体的な方法

②解決に役立った書籍の紹介

統合失調症に効果があるとされているナイアシンサプリメントを一定期間飲んだ感想

となります。

 

ご興味のある方はこの先へお進み下さい。

統合失調症を治すためにやった具体的な方法

3つの力の統合〜神経の再学習〜

この続きを読むには
購入して全文を読む

統合失調症は簡単に治る

難しい病気と言われている統合失調症ですが、実は簡単に自分で治すことができます。

幼少期の不適切な環境への適応のために、不自然な生き方(分裂した生き方)になっているだけなので、それを自然な状態に戻してあげればいいわけです。

薬もカウンセリングも必要ありません。

カウンセリングに関しては、本音を引き出してもらえれば助けにはなる可能性もありますが、必ずしも必要ではありません。

そもそも働けない人も多く、高額なカウンセリング代を払えない人がほとんどではないでしょうか?

無力に見える統合失調症患者の中にも、ちゃんと力がありますので、自分で治すことができます。

自分の力で前に進めた時、統合失調症は完治したと言えるでしょう。

統合失調症は、心と身体が不一致でバラバラになっている状態のことですので、これを頭を使って一致させていきます。

自分の「こう感じるからこうしたい!」という心の本音を無視せずに身体で実行に移します。

心と身体の仲介者が頭です。

頭で「自分は本当は、何を感じ、どうしたいのか」を理解して、それを実行に移すためにはどうしたらいいのかを考えます。

そして、その考えを実行に移すのです。

統合失調症の人は、自分の本音である、「こう感じるからこうしたい!」を実行に移しません。

これは、本当の自分を表に出さず、隠すことで自分を守る防衛のためにやっています。

幼少期、支配的な親から自分を隠し守るために編み出した、ある意味名案なのです💡

この名案により、本当の自分が現実世界に出て行けず、妄想の中で生きることとなります。

現実を生きれないので、生きている意味がないと感じ、生きる意欲を失うことにも繋がります。

ですので、今まで使ってきたかつての名案は捨てて、妄想の世界から出ていき、現実世界を身体を使って生きていく生き方に変えることが重要になります。

簡単な図を用いて統合失調症の治し方を説明している記事もどうぞ

jibunndenaosu.hatenablog.com

 

自死を回避する方法

統合失調症の人は、一般の人に比べて自殺率がおよそ4倍となっており、統合失調症を発症した人の中で、約5%が自殺で亡くなっています。全自殺者の10%が統合失調症というデータもあるそうです。

統合失調症の方の中には、現在、希死念慮に苦しんでいる方もおられるかと思います。私もかつてはそうでした。しかし、今は全く希死念慮がない状態で生活をおくれています。

こちらの記事では、私の経験からわかった希死念慮が起こる仕組みとその解決方法を書いています。

希死念慮が起きる理由

 

内なる自由をかちとる第一の歩みは、「自らの自己を選びとること」である。それは、盲目的惰性やありきたりの生き方とはまさに正反対の態度である。それはまた、宇宙に占める自己固有の位置を認めることである。しかもこの生きていることに対して責任を引き受けることである。単に自己保存の本能ではなくて、自分は他人とまぎれることのない独自の自己存在であるという事実を受け入れ、自分に与えられた運命を全うするという責任を引き受ける意志である。それはひいては、人は自己の根元にかかわる選択行為を自分自身で行わねばならないという事実を引き受ける意志を意味する。
 自分の自己および自らの存在を選びとるということが何を意味するかは、その正反対である非存在を選びとること、すなわち、自殺行為を考えてみることによってかえってはっきりしてくると思う。自殺のもつ意味は、いかに多数の人が自殺するかということとは無関係である。そんなことは事実、精神病者以外ではきわめてまれな現象である。しかし、心理的かつ精神的に考えてみると、自殺にはもっと深い意味が含まれている。自ら手を下して生命を断つのではなくて、おそらく本人は全然気づかないままに非存在を選びとることによって死んでしまうという、いわば心理的自殺というものがある。

ロロ・メイ著『失われし自己をもとめて』189頁

自死というのは、気づかぬうちに非存在を選びとることによって起こる。ということはどういうことでしょうか?

非存在とは、自分を存在させていないということですが、これは自らの感情と欲求を持たないという意味です。

統合失調症の人は、自らの感情と欲求を持たないようにして生きているため、気づくと非存在の状態になってしまい、自死に至るということです。

もう少し詳しく言うと、本当は持っている感情と欲求を隠して、「そんなものは持っていません」という顔をしてその場に適応して生きているといった感じでしょうか。

希死念慮の解決方法

まずは、感情と欲求を認めることです。感情というのは身体感覚のことになります。欲求とは、これがしたい、したくない、ここに行きたい、行きたくないなどで、これも体の内側で感じているものです。

認められたら、それを行動に移します。すると、ここで自分が現実世界に存在できることになり、非存在の状態ではなくなるため、希死念慮が消えるということになります。

統合失調症の人は、自分を存在させたら罰を受けるような環境を経験してきたため、上記のようなことをすると自らの防衛本能が警告を叫びます。「危ないぞ!やめておけ!」

しかし、本当に危険なのは、非存在の状態で生きることの方なのです。統合失調症の人は、このことを身をもって体験しました。

まとめ

自死は、非存在の状態を選び続けることによって起こります。非存在とは、自らの感情と欲求を持たないということです。希死念慮を消すには、感情と欲求を認め、行動に移すことで自らをこの世界に存在させることが必要です。

簡単な図を用いて統合失調症の治し方を説明している記事もどうぞ

jibunndenaosu.hatenablog.com

 

 

統合失調症の人は良い人

統合失調症の人はいわゆる良い人です。

良い人とは、感情を抑圧し、自分自身の欲求を持たない人のことを言います。

しかし、人間には必ず感情と欲求が搭載されています。

あるものをないものとして、無理やり無意識に抑圧する時、人は分裂します。

感情と欲求を抑圧すると、本当は「ちがうな」と感じ、やめたいと思っていることをやり続け、本当は「これだ」と感じ、やりたいことをやれません。

自己不一致とも言えますね。

統合失調症を治すためには、自己一致させる必要があります。

統合失調症の正体は、「自己不一致やめてくださーい。自己一致させて自分の人生を生きてくださーい。」というメッセージですので、これは必ず改める必要があります。

感情を抑圧し、欲求を持たない不自然な良い人でなく、欲求を持ち、表現し、それを充足させようと努力する人にならなければいけません。

良い人になった理由としては、真の感情や真の欲求を表現させてもらえなかったり、欲求を満たそうとしたらワガママだと責められたり、不機嫌になる人が周りにいるような家庭だったパターンが多いと思います。

その結果、「感情は抑圧せよ、欲求は危険だから持つな」という法律が自分の中に制定されてしまいました。

私たちが普段法律を意識していないように、この法律が制定されていることに気がついていない場合が多いと思います。

ひっそりと、しかし確かな鎖で自分を縛っているこの法律に気がついてください。

感情を感じること、欲求を充足させることに対する罪悪感に気がついてください。

罪悪感は必要ありません。

統合失調症を治すためには、感情と欲求の抑圧をやめて、自己主張をしたり、主体的に欲求を満たす努力をします。

そして、この自分の人生を生きる活動を邪魔する人や価値観、常識などに対して「NO」と境界線を引くことも大切です。

統合失調症以前の生き方はもうやめて、今までやってこなかった生き方をはじめる必要があるのです。

きっと楽になっていくと思います。

簡単な図を用いて統合失調症の治し方を説明している記事もどうぞ

jibunndenaosu.hatenablog.com

 

内なる母の声

統合失調症自己を閉じ込める精神構造になっています。

自己(本当の感情と本当の欲求)が閉じ込められているため、欲求の充足が上手くいきません。

そうなると、何かを欲求し、それを満たすという生きる喜びが感じられなくなっていき、本当の自分を生きられないならば生きてる意味がない、死にたいとなってしまいます。

この欲求充足を止めているものがあります。

それは、罪悪感内なる母の声です。

罪悪感

統合失調症の人は、(他の精神疾患の人も多かれ少なかれ)自分の欲求を表現することに強い罪悪感を感じています。

これは、「他人に迷惑をかけるな」と言われてきたこと、両親が我慢して生きていたことなどが背景にあるかと思います。

しかし、本当は自分のニーズを表現し、適切に満たすことは、決してワガママなことではありません。自然な生命運動です。

内なる母の声

もう一つが内なる母の声です。(一番多そうなので母としましたが、父や他者の場合もあります。)

自分の欲求を認識し、いざそれを満たすために行動を取ろうとした時にこの声は聴こえてきます。

私の場合、母親のヒステリックな大声で「ダメ!」という声が聴こえていました。(幻聴ではありません)

そして私はこの声に従ってしまい、行動が取れなくなり、欲求充足に失敗します。

実際の母親の声ではないのです。内在化された母から発せられる声なのです。

頭の中でこだまする自分以外の声に気づくことで、また一歩自由に近づくでしょう。

まとめ

・欲求充足をせき止めるものに罪悪感内なる母(他者)の声がある

・ニーズを表現する際に湧いてくる、いらない罪悪感に気づこう

・欲求充足のための言動を取る直前に頭の中で響く、足止めをしてくる他者の声に気づいて従わないようにしよう

簡単な図を用いて統合失調症の治し方を説明している記事もどうぞ

jibunndenaosu.hatenablog.com

 

統合失調症の人は無意識の間違った努力をやめよう

統合失調症の人は無意識に間違った努力をしているので、それを意識的な正しい努力に変える必要があります。

どういうことか結論から言いますと

無意識の間違った努力とは、欲求を抑圧する努力です。

意識的な正しい努力とは、欲求を充足させる努力になります。

それでは詳しく解説していきます。

無意識の間違った努力

統合失調症の人は子どもの頃、周りの大人から欲求を否定されて育っています。

自分の自然と生まれた欲求を満たそうとすると、否定されて怒られたりしていました。

その影響から、自分の欲求を恐れ、何とか逸らそうとしたり、欲求を感じるわけにはいかず、抑圧する努力をしています。

意識的な正しい努力

人の生きる喜びは、「何かを欲求し、それを満たす」ところにあります。

ですので、無意識の間違った努力に気づき、やめて、意識的な正しい努力である欲求充足に向かう必要があります。

統合失調症の人は周りの大人に欲求を軽視、無視されて育ち、自分でもそうして生きてきたため、真の欲求がわからない人が多いかと思います。

欲求を認知するためには、自分の感覚や感情を認識する必要があります。

「何を感じているか」がスタートになるということです。

一番わかりやすい例ですと、「お腹が空いたと感じるから(感覚)、ご飯が食べたい(欲求)」になりますが、人間は本来欲求の塊なので、他にも様々な欲求があるはずです。

感覚や感情を認識し、自分の欲求がわかったら、その欲求を満たす努力をします。

欲求を満たす努力のやり方は、どうしたら欲求を充足させられるかを具体的に自分で考えて、自分で行動するということです。

行動したらその結果からまた何か感じることがあるはずです。

これが欲求に対する意識的な正しい努力となります。

洗脳された思い込み

統合失調症の人は周りの大人から欲求への心づかいを受けられず、代わりに過剰な要求をされて育ちました。

そのため、「自分には欲求を満たす権利がない」という思い込みがあります。

その権利がないのにも関わらず、欲求を満たそうとすることに罪責感を感じるのです。

私は欲求を満たす権利のないモノである(そしてモノは欲求を持たない)という信念の中を生きているため、「欲求を満たすためにはどうすればいいだろう」と考えて行動することができません。

その極端な姿が、統合失調症の緊張病(カタトニア)でしょう。

しかし、これは間違った思い込みで、本当は欲求を満たす権利を持った人間なのです。

代理欲求

欲求は人生の羅針盤です。欲求があるから、どちらへ進めばいいのかがわかります。

統合失調症の人は、自分の自然な欲求を充足させる通路に、通行止めの看板が立っています。

そうすると、別のルートに進むしかなくなり、代理欲求を作り出すことになります。

わかりやすい例を出すと、摂食障害の「痩せたい」なんかは代理欲求で、その人の真の欲求ではありません。

洗脳を解き、自分にも欲求を満たす権利があると自覚し、真の欲求を充足させる努力ができるようになった時、代理欲求に向かうこともなくなるでしょう。

まとめ

統合失調症の人は欲求を抑圧する無意識の努力に気付き、欲求を充足させる努力に変えて、生きる喜びを取り戻そう。

・真の欲求を知るためには、自分の感覚、感情を認識しよう。

・「自分は欲求を満たす権利のないモノである」という思い込みに気付き洗脳を解こう。

・本当の欲求と代理欲求を区別しよう。

自分の感情と欲求を知っているのは自分だけです。取りこぼしても誰にもわかりませんので、責任を持って充足させる努力をしていきましょう。

簡単な図を用いて統合失調症の治し方を説明している記事もどうぞ

jibunndenaosu.hatenablog.com